あの週末のグラウンドに、家族のすべてがあった

目をつぶると、あの光景がはっきりと浮かびます。
まだ朝日がのぼりきらない時間。
ユニフォーム姿の子どもたちを乗せた車が、コンビニの駐車場で軽食を買う。
助手席では妻がスコアブックの準備をしていて、
後部座席では長男と次男がふざけながら水筒のチェック。
グラウンドに到着すると、
娘はすでに表情を変え、ピッチャーマウンドに立つ準備をしている。
あの週末は、毎回が“家族で迎える本番”だった。
炎天下で声を枯らしながら応援した試合。
エラーで泣いた夜、ホームランに沸いた日曜日。
勝っても負けても、家族全員が同じ場所で、同じ気持ちで時間を過ごしていた。
そして、今
あの濃密な時間は、いつのまにか過去になっていました。
転職してからというもの、
僕は仕事柄、出張や週末勤務が増えました。
以前のように家族と同じ時間を過ごすことは、ほとんどありません。
それだけじゃない。
子どもたちもそれぞれの道を歩きはじめたのです。
- 長男(大学4年)**は柔術に打ち込み、筋トレに没頭。
- 次男(大学3年)**はバイトと学業で青春を走っている。
- 娘は県外で就職し、女子野球選手として一人暮らしを始めました。
気づけば、家族全員が顔を合わせる週末は、もうどこにもありません。
でも──
“寂しい”だけでは済ませたくなかった。
「今のかたち」でつながるために

「もう昔のように戻ることはない。」
それを受け入れたうえで、
僕は“今できること”を考えました。
僕が実践している“3つの工夫”


1. SNSのグループチャットで日常を共有
日々の出来事を、家族のSNSグループチャットで共有しています。
- 今日の天気や通勤の様子
- スポーツの試合結果
- 次男のバイト話、長男の大会予定、娘の試合の告知
誰かが何かを送れば、誰かが必ず返す。
この“ゆるいつながり”が、僕たち家族の新しい接点になっています。
2. 帰省した週末は「夫婦だけの時間」
家族が揃わない今だからこそ、夫婦の時間を大切にしています。
車でお気に入りの店に行き、
コーヒー片手に最近の話をするだけでも、心が整う。
かつての「家族の中心」は、今も静かに支えてくれています。
3. 子どもとは“1対1”の関わり方を
それぞれが大人になりつつある今、
僕は「父としての向き合い方」を変えるようにしています。
- 長男とはトレーニング談義で盛り上がり。
- 次男とはふとした時のチャットで近況報告。
- 娘とは遠く離れていても、野球の話題でつながる。
それぞれの“今”に寄り添うことが、今の僕にできることだと思っています。
子どもが巣立っていく中で、父親として残るもの
かつては当たり前だった「家族全員で過ごす時間」──
それは、子どもたちの成長とともに、少しずつ減っていくものだとわかりました。
でも、だからといって父親をやめるわけではない。
むしろ今は、“見守る役”としての時間が増えたような気がします。
彼らの背中を押し、遠くから応援し、
必要なときにそっと手を差し伸べる。
それが、僕の今の「父としての在り方」なんだと思います。
“時間”じゃなく“想い”でつながる
もう、毎週末グラウンドで声を枯らすことはない。
でも、今もあの風景は、僕の中に生き続けています。
そして、その風景を共有した家族が、
それぞれの場所で頑張っている今。
だからこそ、物理的な距離より、気持ちの距離を大切にしたい。



「一緒にいられないなら、“伝わる努力”をすればいい。」
そう思えるようになったことが、僕にとって大きな成長でした。
✅ まとめ
かつては、家族で一緒にグラウンドへ行くことが当たり前だった。
今は、それぞれが自分のフィールドで戦っている。
でも、“家族であること”は、形を変えて続いていく。
つながりを失いたくないなら、
つながるための工夫をすればいい。
父として、夫として、これからも僕はそうやって関わっていきたいと思っています。