はじめに
「今断れば、昇任は厳しくなるぞ。」
その一言が、いまでも忘れられません。
キャリアか、家族か——自衛官として20年近く積み重ねてきた道を、この一言が揺さぶりました。
でも僕は、迷いながらも“家族”を選びました。
そしてその選択は、後になって人生そのものを大きく動かしていくことになります。
今回は、僕が「管外転属を断った理由」と、そこから得た“かけがえのない時間と出会い”について正直にお話しします。
順調だったキャリアに訪れた岐路
自衛官としてのキャリアは順調でした。
教育隊での成績も評価され、教官としても約4年半務めるなど、着実に昇任への道を歩んでいたと思います。
そんな中で通達されたのが、「中期実員管理」による管外異動の内示。
移動先は家族と離れるような遠方。タイミングは、子どもが小学校から中学校へ進学する年でした。
上司からはこう言われました。
「異動を断ると、昇任に響く。みんな乗り越えてきた壁だ。」
でも、僕にはどうしても割り切れなかったのです。
週末のグラウンドで育んだ“家族の時間”
僕の家族は、ずっと野球と共に生きてきました。
週末は子どもの練習や試合に付き添い、家族みんなで応援し、笑い、悔しがってきました。
グラウンドで過ごしたあの数年は、まさに家族の絆をぎゅっと縮めた時間だったんです。
子どもたちの成長を間近で見守り、同じ汗をかいて、同じ空気を吸って、同じ想いで頑張った。
あの時間があったから、僕も頑張れた。家族みんなが、同じ目標に向かって生きていた。

「この時間は、二度と戻ってこない。」
そう思ったとき、自然と“昇任”より“家族との今”を選んでいました。
あの選択がくれた、人生最高のご褒美
娘は、やがてチームのエースとして全国決勝のマウンドに立ち全国優勝を達成。
日本一のピッチャーになりました。
勝利への執念を燃やす姿、闘志をむき出しにしてマウンドに立つ姿を、家族みんなで見届けました。
そして迎えた大舞台。
娘は、東京ドームで行われた「イチロー選抜 KOBE CHIBEN」との特別試合に出場しました。
イチローさん、松井秀喜さん、松坂大輔さんといった名だたる選手たちが並ぶ中で、娘がマウンドに立っていた。
その様子は、後にYouTubeでも公開され、今も多くの人の目に触れています。



「これはもう…最高のご褒美だ。」
あの時、もし管外異動を受けていたら、僕はこの瞬間に立ち会えなかった。
応援の声も、涙も、笑顔も、全部そばで感じられた。
その“時間”こそが、僕の人生で最も誇れる宝物です。
野球がつないだ、人との出会い
野球を通じて、ただ家族とつながっただけではありません。
驚くような人との縁も生まれました。
たとえば、今の会社の社長。
実は、野球がきっかけで知り合ったんです。
人生って、ほんとうにどこでどうつながるか、わかりません。
もしあの時、異動を選んでいたら、今の自分は存在していなかったかもしれません。
“離れてみてわかった”家族の重み
民間に転職してから、出張も多く、家族と会える日数はぐっと減りました。
それだけに、ふとした時にあの週末のグラウンドが思い出されるのです。



「あの時期を、全力で一緒に過ごせてよかった。
それが、いまの自分を支えてくれています。
キャリアはやり直せる。でも、家族と過ごす時間はやり直せない。
おわりに
あの時、「家族か昇任か」という選択に迫られた僕は、
数年しかない、かけがえのない時間を選びました。
結果としてキャリアは止まりました。
でも、人生は止まらなかった。むしろ、そこから大きく動き出したんです。
今、同じように悩んでいる誰かがいたら、伝えたい。



「どんな選択でもいい。ただ、“悔いのない時間”を選んでほしい。」