転職して最初に実感したのは、「世界はこんなにも広かったのか」という感覚でした。
自衛隊時代には出会えなかった人たち──異国の文化や価値観をもつ受講者たちとの交流を通して、私は“安全”や“伝えること”への意識が大きく変わりました。
命令を受けて動くスタイルから、「自分で考えて伝える」スタイルへ。
言葉が通じない相手にも、ジェスチャーや図解を駆使して伝える工夫が求められる現場で、私は“伝える力”の本当の意味を学びました。
そしてこの学びはやがて、自分の“応用力”を試される大きな転機──風車模型の制作と発電教材の開発へとつながっていきます。
レゴブロックからの挑戦:何もないところから始まった

ある日、上司からこう言われました。
「展示用の大型風車を、レゴブロックで作ってみませんか。」
その一言がすべての始まりでした。
パーツは一切手元にありません。市販の模型や説明書もなく、完全なゼロベースからの挑戦でした。
まずはどこでレゴブロックを調達するか、在庫が豊富で単価が安い店舗はどこか──そんなリサーチから始めました。
単純に「既製品を2倍のサイズに拡大」すればよいと思われがちですが、そうはいきません。
強度や回転のバランスも考えると、必要なパーツは4倍以上に膨れ上がるのです。コストや種類の選定にもかなりの時間を費やしました。
設計図なし。試行錯誤の繰り返し
私が任された風車は、ブレード1枚が60cm以上、全体で直径120cmにもなる巨大な模型でした。
これをすべてレゴブロックだけで組み立てるというのは、前例のない試みです。
もちろん設計図は存在しません。既製品を写真や動画で観察し、頭の中で構造をイメージしながら、自分なりに一から図面を描いて構成を考えました。
構想・調達・組立のすべてを一人で担当。時間はかかりましたが、風車は無事完成し、展示室に飾られることとなりました。
この経験を通して、私の中で“自信”がひとつ芽生えました。
次なる課題は「発電」──完全なゼロからの学び直し

風車が完成したあと、次は「発電装置を作ってみませんか?」と依頼されました。
しかも、小学生向けの教材として使えるものに──とのこと。
正直、電気の知識はまったくのゼロでした。
磁石で発電? コイルって? というところからのスタートです。
ネットや書籍で発電の仕組みを学びながら、コイルを巻き、ネオジム磁石と組み合わせて交流電圧を発生させるところまでは何とかたどり着きました。
しかし、

「LEDを点灯させるには、どう繋げば効率よく発電できるか。」
という壁にぶつかりました。
巻線数のミス、繋ぎ方の混乱、それでも前に進んだ
最初に巻いたコイルは、巻線数が足りず、十分な電圧が得られないという失敗がありました。
また、単純にコイルとコイルを「+-+-」と繋げば大丈夫だろうと安易に考えて配線しましたが、うまく電気が流れてくれませんでした。
これはなぜか。
交流発電では、電圧は波のように+と-を交互に繰り返して発生します。
「+-+-」と繋いでしまうと、隣り合うコイルが**逆位相(反対向き)**で電圧を出すため、お互いに打ち消し合ってしまうのです。
その結果、合成された電圧のピーク値が低くなり、LEDを点灯させるには足りない状態になってしまいました。
このとき私は、



「すべてのコイルが同じ方向に磁束を受け、同じ位相で電圧の山と山、谷と谷が揃うように繋ぐ必要があるんだ。」
と気づきました。
つまり、「++、--」と向きを揃えてコイルを繋ぐことで、電圧が足し算のように高くなっていく構成にしなければならなかったのです。
最終的に、このように接続し直すことでうまく電流が流れ、LEDが点灯した瞬間──あの感動は今でも忘れられません。
専門的に学ばれている方や本職の方にとっては当たり前の知識かもしれませんが、自衛隊一筋で生きてきた私にとっては、物凄く高い壁でした。
整流回路と模型電車へ──さらに応用へと展開
それだけでは終わりません。今度は、
「LEDだけじゃなくて、電車を走らせてみようか?」
という話になりました。
模型電車は交流では動きません。
直流に変換する必要があることも、ここで初めて知りました。
そこで、ブリッジダイオードによる整流回路を使い、発電した交流電流を直流へ変換。
配線を調整し、試行錯誤を繰り返した末に、ついに模型電車が走る光景を見ることができました。
ジオラマ制作へ:小学生にも“電気の楽しさ”を伝えたい


現在は、発電機を搭載した風車を5~6基作り、街を灯したり、Nゲージの模型電車を走らせるジオラマの完成を目指しています。
これは単なる展示ではありません。
「電気って面白い」「発電ってこうなってるんだ」──そんな気づきを小学生にもたらす教材として開発しているのです。
「応用力を試した」──上司からのひと言
こうした一連の取り組みを見た上司から、私に言われた言葉があります。
「応用力を試したんですよ。」
私はこの言葉にハッとしました。
それは、自衛隊時代とはまったく異なる“評価”のされ方だったからです。
自衛隊では、訓練を真面目にこなし、失敗せず、命令どおり動ける人間が評価される傾向がありました。
しかし、民間では「自分で考え、行動し、結果を出す人」が認められます。
この経験を通して、私は「応用力がある」という評価を得られたことを、心から嬉しく思いました。
最後に:評価されることの喜びと責任
風車の展示、発電教材の成功、模型電車の走行──どれもゼロからの挑戦でした。
しかしそのひとつひとつが、自分の力で考え、工夫し、前に進んだ結果であり、
それが“実力として認められた”という実感があります。
そして今、私はこの経験をもとに、さらに大きな目標──複数の風車によるジオラマの完成を目指しています。
それは、教育にも技術にもつながる、私自身の成長の証でもあります。



「努力は、見ている人がちゃんと見てくれている。」
この事実こそ、転職して得られた何よりもの“報酬”です。